賀田金三郎研究所について

2012年に誕生した民間の研究所が賀田金三郎研究所です。

当研究所では、賀田金三郎の一生についての研究を行うと共に、彼が台湾に残した数々が現在の台湾で、日本で、どの様に根付いているかを調べています。

また、賀田金三郎が花蓮の地でやり残した事の一部だけでも、当研究所が引き継ぎ、実現出来ればと考えています。


「人は生まれてきたからには、死ぬまでお国のため働く義務がある」
「台湾で得た利益はすべて台湾に還元する」

これが賀田金三郎の信念でした。

賀田金三郎記念公園建設プロジェクト

賀田金三郎は1899年、台湾で初めての日本人移民村である「賀田村」を開村した。

この賀田村があった場所が、現在の花蓮県壽豐郷平和村呉全である。その地に建立されているのが、賀田製糖所からの業務を引き継いだ鹽水港製糖株式会社が昭和15年9月24日に建立した「開拓記念碑」である。

現在、この記念碑が建っている土地は台湾製糖が管理している。しかし、管理とは名ばかりで、記念碑は倒壊寸前、用地も荒れ放題の状態である。記念碑自体は花蓮県の史蹟として指定はされているが、史蹟指定を受けているが故に、民間が手を出すことが出来ず、まったく意味をなしていない状態であった。

2014年11月11日に花蓮県文化局の主催による「記念碑修復と再利用計画」についての会合は開催されたが、大切なのはこれからである。

行政主導型の再利用計画では観光客の誘致は望めない。

また、単に、意味のない広場にする事だけは絶対に避けたい。何故ならば、この用地には、当時、賀田製糖所があった。賀田金三郎にとっても非常に重要な場所であった。

故に、私達は、この場所に「賀田金三郎記念公園」を建設し、資料館、記念館、慰霊碑、食品加工観光工場を設け、有効利用をしたいと考えている。

花蓮移民村で生きていた証を残す

花蓮は台湾で初めての日本人移民村が出来た場所です。

賀田村、吉野村、豊田村、林田村、三笠村、上大和村という6つの移民村が存在していました。

しかし、これら移民村に関する資料は今はバラバラに存在し、何一つ、データ化されたものもない。このままでは、花蓮における日本人移民村の歴史そのものがいつか消えてなくなってしまう可能性もある。

花蓮日本人移民村で必死に生きて来られた先人達の「生きた証」をしっかりと残し、後世に伝えていく事が我々の責務ではないかと思います。

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