賀田金三郎は1899年、台湾で初めての日本人移民村である「賀田村」を開村した。
この賀田村があった場所が、現在の花蓮県壽豐郷平和村呉全である。その地に建立されているのが、賀田製糖所からの業務を引き継いだ鹽水港製糖株式会社が昭和15年9月24日に建立した「開拓記念碑」である。
現在、この記念碑が建っている土地は台湾製糖が管理している。しかし、管理とは名ばかりで、記念碑は倒壊寸前、用地も荒れ放題の状態である。記念碑自体は花蓮県の史蹟として指定はされているが、史蹟指定を受けているが故に、民間が手を出すことが出来ず、まったく意味をなしていない状態であった。
2014年11月11日に花蓮県文化局の主催による「記念碑修復と再利用計画」についての会合は開催されたが、大切なのはこれからである。
行政主導型の再利用計画では観光客の誘致は望めない。
また、単に、意味のない広場にする事だけは絶対に避けたい。何故ならば、この用地には、当時、賀田製糖所があった。賀田金三郎にとっても非常に重要な場所であった。
故に、私達は、この場所に「賀田金三郎記念公園」を建設し、資料館、記念館、慰霊碑、食品加工観光工場を設け、有効利用をしたいと考えている。